●レイク・ルイーズ発見の歴史
カナディアン・ロッキーの現在知られている観光地が発見されたのは、1880年代の大陸横断鉄道建設の時代だった。Canadian Pacific Railway(以下CPR)が建設を進め、鉄道が開通すると、今度は観光地の開拓に乗り出した。そして、あのバンフ・スプリングス・ホテルを建てたのである。
1882年8月、周辺の調査をしていたTom Wilsonは、案内役の先住民と一緒に、現在のレイク・ルイーズ・ヴィレッジのあたりでキャンプをしていた。その時、雪崩の轟音が聞こえたため、先住民に尋ねると、それは“小さな魚の湖”に雪が落ちる音だと言う。その音のほうに行ってみると、そこには世にも美しい宝石のような湖があった・・・
・・・というわけで、これがレイク・ルイーズ発見の物語である。
発見されてからはエメラルド・レイクと呼ばれていたが、1884年にレイク・ルイーズという名前に改められた。これは、英国のビクトリア女王の四女であるルイーズ・キャロライン・アルバータ王女にちなんで付けられたもの。もうお分かりのように、アルバータ州の名も王女の名前から付けれている。王女の夫が1878〜83年まで、カナダの総督だったのだ。
さらに、レイク・ルイーズの背後に見える山はマウント・ビクトリアといい、そこから湖に注ぎこむ氷河はビクトリア氷河と言う。母は常に愛娘を見守っているというわけだ。
さて、英国系の国だから、このようにイギリスと縁が深いのは、当然と言えば当然だが、今回、カナディアン・ロッキーがシュテファンの国スイスとも縁が深かったということを、始めて詳しく知ることとなった。
まず気になったのが、湖畔にいるあのヨーデルおじさんだ。レイク・ルイーズに行った人の大半は、会ったことがあるに違いない。おなかがデ〜ンと出た大きなおじさんで、チロリアン・ハットをかぶり、長ーい角笛を吹いている。日本人観光客には大人気で、この日もおばさま御一行から一緒に写真を撮ってと頼まれていた。おじさんもサービスで、ヨーデルを歌っちゃったりしている。時々、おじさん自身が写っている絵ハガキをくれることもある。私も前に、取材用の写真を撮らせてもらった時に、一枚もらったっけ。けっこう長いこと、レイク・ルイーズにいる人なのだ。
ふとシュテファンを見ると、後退りしてその場を離れようとしている。そして「恥ずかしい」とか言っている。まあ、そういう気持ち、分からないではない。おじさんは本当のスイス人ではないそうだ。
それにしても…とまた疑問。なんでレイク・ルイーズでヨーデルなんだろう?
その時、シャトー・レイク・ルイーズ前にある小さな銅像が目に止まった。ここにも何度も来ているが、初めて見たものである。そこに書かれている文を読んで、ヨーデルおじさんの理由が分かった。