●バリアフリー・シティとの出会い
バンクーバーに来て、多くの人が共通に思うことは「車椅子の人が多い」ということらしい。私も住み始めてほどなく、そのことに気がついた。街を歩いていると、必ず見かけるのである。その方たちは、障害者であったり、足が弱くなったお年寄りであったり(この場合は電動ミニスクーターのような物に乗っている)するのだが、共通していることは、みなさん一人でどんどん動き回っているということだった。歩道は広くて車道との段差を無くしてあるし、乗降リフトが付いたバスがバンバン走っているのだ。私は、この国とここに住む人たちを、心底うらやましいと思った。こんな環境が日本にもあったら・・・。
もう、かれこれ5〜6年も前の話である。
ただ、中には大勘違いをする人もいる。知人のそのまた知り合いの話だが、
「バンクーバーって障害者が多い所ですねえ」と言ったのだそうだ。
ちがーーーうっ!
みなさんはもうお分かりですね。障害者が多いのではなくて、車椅子でもどんどん出ていける所なのです。
さて、話を6年前に戻すと・・・
当時私はブリティッシュ・コロンビア大学(以下UBC)のESL(英語学校)に通っていた。ホームステイ先からバスで約30分。最初の頃はまだ生活に慣れなくて大変だったが、1ヵ月もするとなんとなくゆとりも出てきた。そして、私が乗っているバスに、週に2〜3回、車椅子の若い女性が乗ってくることに気がついたのである。
その女性は、もうドライバーとは顔見知りらしく、ドライバーの方も実に手際よく座席の準備をしていた。彼女がリフトで上がってきて、シートに車椅子を固定するまで、たいして時間はかからなかった。それでも彼女を見かけるのは、いつも昼間の空いている時間帯だった。
終点のUBCで降りると、その人はどこか校舎の中へ消えてしまうので、パートタイム・クラスを取っている学生さんかなぁと思っていた。
ところでUBCでは、ESLの学生でも、正規の大学生と同じように構内の施設を安く使えることになっている。
ある時、私は初めてプールに行った。UBCには屋内・屋外と2つのプールがあり、夏は一般市民にも開放されている。また、国際規格に合ったサイズらしく、オリンピック前に、よく選手たちの強化トレーニングなども行なわれているそうだ。
そんな立派なプールだが、たいして泳げない私は、プールのヘリから離れずに泳いでいるか、ビート板を使ってバチャバチャするのみだった。
そのプールで意外な人に会った。あの車椅子の女性である。赤い水着を着た彼女は、プールの女性スタッフが押す車椅子で、水際までやってきた。そして、スタッフが女性をプールの中へ入れると、さっそく泳ぎ始めた。その時分かったことは、彼女は両足だけでなく、右手も不自由だということだった。
「水を得た魚のよう」とはこんな感じなのだろう。彼女はスーイスイ泳ぎ始めた。スーイスイ、である。私はバチャバチャなのに。
唯一自由に動かせる左手だけを使った背泳だが、彼女の泳ぎは力強かった。そして、一番端のコースで、延々往復を繰り返していた。プールのスタッフは、とっくの昔に仕事に戻ってしまっている。彼女はかれこれ30分近く、ノンストップで泳いでいた。
やがて、先ほどの女性スタッフが、再びプールサイドにやってきた。スタッフは女性を水から引き上げ車椅子に乗せると、談笑しながらシャワールームに入っていった。
それから二泳ぎくらいして、私もシャワールームに引き揚げると、彼女たちはまだそこにいた。この時気づいたことは、この車椅子はプールに備え付けのもので、車椅子に乗ったままシャワーを浴びられるということだった。着替えはきっとスタッフが手伝ってくれるのだろう。バス停はプールのすぐ前だから、そこまで行けば、今度はドライバーが手伝ってくれる。彼女は週2〜3回、このプールに通っていたのだ。
それから1ヵ月もたった頃、もう外はすっかり秋の気配になっていた。
授業を終えてバス停に行くと、彼女がいた。髪が濡れていたので、今泳いできたばかりなのだろう。
と、突然、彼女が私に声をかけてきた。手に持っているヘアブラシを、後ろのリュックに入れてほしいというのだ。今日はスタッフさん忙しかったのかな?と思いながら、入れるべき場所を確認し、しっかりファスナーを閉じた後、私は聞いた。
「あと何かお手伝いすることあります?」(実際はもちろん英語だ)
「ううん、大丈夫。ありがとう」
彼女が私にポンと聞いてくれたことが、何よりうれしかった。
私だったら「この人、手伝ってくれるかな?」とか「英語、わかるかな?」なんて考えてしまいそうだ。彼女は何の屈託もなく、直球ストレートで、正面からポンを投げてきた。
その後、私はホームステイを出て一人暮らしを始めたので、もう彼女とは同じバスに乗らなくなってしまった。
今でもUBCのプールで、力強く泳いでいるだろうか・・・
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