●リック・ハンセン(4)
1985年3月21日、リック・ハンセンは、バンクーバーのオークリッジ・ショッピング・センターから、世界一周の「マン・イン・モーション」をスタートさせた。目標距離は、地球の円周と同じ40163.79kmである。
その日、オークリッジ・ショッピング・センターには、ものすごい数の人が集まった。マスコミも各局が取材に来ていた。山のような群衆の中には、車椅子の人たちの姿もあった。自分で車輪を動かすことができず、レバーで操作する電動車椅子に乗った重度の障害者も、家族や友人に付き添われて、その場に来ていた。
人々の思いは一つだった。
「目標を達成して、無事に帰ってきてほしい」
おそらくこうも思っていただろう。
「テリーの分までがんばって!」
故郷ブリティッシュ・コロンビア州を後にして、ハンセンはまず南下し、アメリカ合衆国に入った。そのまま太平洋岸の州をたどって南に進んだ後、東に向かって合衆国を横断、マイアミまで行く。その時までに、ちょうど6,000ドルの寄付が集まっていた。
次にダブリンに飛び、イギリスを全部車椅子で通過して、さらに北欧に飛ぶ。彼はフィンランドで28歳の誕生日を迎えている。
その後、飛行機でソ連にも立ち寄った後、ポーランドから車椅子で、チェコスロバキア、スイス、スペイン、ポルトガル、イタリア(ここでローマ法皇に謁見)、ギリシャを旅した。そして、アラブ諸国も車椅子でまわり、イスラエルから飛行機でオセアニアに飛んで、ニュージーランドとオーストラリアにいどんだ。
こうしてサラッと書いてしまうと、旅は順調だったように感じてしまうが、決してそうではなかった。成功の喜びと挫折、興奮と低迷、希望と絶望、退屈とワクワクするようなアドベンチャー‥‥。そんなものが交互にやってきた。肉体的な疲れもあった。
オーストラリアでは、目標距離のハーフ地点に到達したが、ハンセンとスタッフたちのフラストレーションもピークに達していた。
それでも旅を続けた。今度は北京に飛び、万里の長城の一部を通って、上海まで南下した。そして日本では、札幌から東京までを車椅子で通過。東京から再びマイアミに飛んだ。
「マン・イン・モーション」の旅も、いよいよ最終章に近づいてきた。
再び北米大陸に戻ったハンセンは、マイアミから北上して、カナダに入国。テリーの足跡をたどるように、ニューファンドランド州から西に向かって横断を始めた。プリンスエドワード島のシャーロットタウン、ニュー・ブランズウィック州のフレデリクトン、ケベック・シティ、モントリオール、オタワ、トロント、ウィニペグ、レジャイナ、カルガリー、エドモントンを通過し、イエローヘッド・ハイウェイを通って、ついに故郷のBC州に戻ってきたのだ。
人々の熱狂的な歓迎ぶりは、出発の時以上だった。
『幸せの黄色いリボン』という歌のアイディアをいただいて、ハンセンの母親を始め集まった人たちはみんな、黄色いアームバンド、黄色いリボンを身につけ、手に手に黄色い風船を持ち、そのどれにも“WELCOME HOME, RICK”と書かれていた。
ゴールしたのは1987年5月22日。出発から実に2年2カ月が経過していた。
参考文献:「The Greater Vancouver book」
★‥‥‥‥‥‥‥‥‥★バンクーバーだより★‥‥‥‥‥‥‥‥‥★
★バンクーバー時間の午後5時から、見ましたよお〜〜〜、メジャーリーグのオールスター・ゲーム!! 当然、日本でも同時ナマ放送されていたと思うけど、ご覧になりましたか? ちょうど始業時間に重なるのでムリか?こちらでは、放送の途中で、日本の池袋駅前の映像が入っていました。
第1打席、よかったですねー。あのカマキリのように手足が長いピッチャー(名前、忘れた)、以前マリナーズにいた人ですよね。あの時も、シアトル、強かったんだよなー。
イチローに始まり、佐々木が締めたオールスター・ゲーム。野球ファンじゃなくても、充分楽しめました!
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