●リック・ハンセン(1)
1973年7月27日の夜、ブリティッシュ・コロンビア州ウィリアムズ・レイク付近の道路で、週末の釣り帰りの3人の若者が乗ったトラックが、暗闇の中で道路から落ちてしまった。幸い3人は通りがかったカップルのトラックに拾われたのだが、彼らもまたこの辺の土地には不案内だった。
そして、この車が再び事故を起こす。今度は、道路をはずれたばかりか、車が激しく横転するほどの大事故だった。
乗っていた3人の若者の1人、15歳のリック・ハンセンは重傷を負い、脊髄に回復不能な損傷を受けた。そして、運ばれた病院で、二度と歩けなくなるだろうと宣告されたのである。
15歳のリックがその宣告を受けた時、本当はどんな気持ちだったのか、読んでいる資料には書かれていない。かなりショックだったろうと思うし、落ち込んだり、運命を呪ったりもしたと思うのだ。そんなに簡単に、はいそうですかとその現実を受け入れられた訳ではないだろう。
しかし、そういう期間があったとしても、かなり早い時期に、彼は自分の人生と目の前の現実に向き合うことを始めている。
リックは、病院で16歳の誕生日を迎えた。
不屈の精神をもつリック少年は、運命に負けることを拒み、リハビリテーション・センターでリハビリ療法に励んでいた。車椅子のスポーツに取り組み始め、マラソンにも挑戦した。そんな中で、多くの車椅子のスポーツマンに出会い、多大な影響を受けた。
その中の一人がテリー・フォックスだった。
「1980年、僕の友達であり、バスケットボールのチームメイトのテリー・フォックスが、『マラソン・オブ・ホープ』をスタートした。彼はカナダを横断し、人々に癌という病気に関心を持ってもらい、その研究基金を募ろうとしたんだ。
彼は自分のためには何も欲しなかった。癌が彼の右足を奪い、彼はそれに戦いを挑んだ。個人的なことは、ただそれだけだった。彼は人々に癌は撲滅できると知らせたかったんだ。」
「僕は、癌がテリーの命を奪ったということを、読んだり聞いたりしている。でも、それは真実ではない。癌はただ彼の体を打ちのめしただけだ。癌が勝ったわけではない。
彼はその生涯と死をもって、それ以前に誰もなし得なかったことをした。カナダ人の心を一つの目的のために結集させたんだ。多くの寄付が集まり、今だに集まり続けている。それは、決してあきらめずに戦い続けた一人の人間のことを、人々が忘れないからだ」
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