●きっかけ
私がバンクーバーのバリアフリー環境について考えるようになったのは、ある留学ガイドブックの取材がきっかけだった。
昨年6月、日本に1ヵ月半ほど帰国した時、私はかつての職場の大先輩が現在仕事をしている会社で、アルバイトをさせてもらうことになった。その会社はリクルートプラシス(ホームページ:http://www.recruit.co.jp/plasis/)といって、従業員の約67%が障害者である。
私が仕事をしていた部署には、車椅子の人が3人、聴覚障害をもつ人が3人いた。オフィスは車椅子でもラクラク通れるように、机と机の間隔が広くとられ、通路に余計な物は置いていなかった。会議では、いつも誰かが手話通訳をしていた。先輩もすっかり手話が得意になっていた。
私は仕事を教えてもらっていたチーフの女性と親しくなった。一緒にお昼を食べながら、カナダのことや、自分の仕事のことなど、よく聞かれては話していた。彼女も車椅子使用者だったが、一人暮しをしており、真っ赤なかっこいい車で通勤していた。ハンドルにグリップを付け、左手でアクセルとブレーキを操作できるようにした改造車である。一度、乗せてもらったことがあるが、運転の上手さとスピードに、ペーパードライバーの私は舌を巻いた。
ある日、彼女からこんなことを聞かれた。
「オカムラさんがやっている仕事で、車椅子でも留学できる情報を載せたガイドブックはできないかしら?」
この一言を聞いた時の私の気持ちを、どう表わしたらいいだろう。
「目からウロコが落ちる」? いや、ちょっと違う。
「青天の霹靂」? 浮かんでくる絵は似てるけど、意味は違う。
とにかく、私の頭の中で、何かが急に大きく光り輝いたようだった。
音で表わすと、まさしく「ガ〜〜〜ン!」だった。
「なんでそこに気が付かなかったんだろう!?」
UBCでプールの女性に出会い、バンクーバーの街で車椅子の人を見かけるたびに、「ああ日本にもこんな環境があったら…」「日本の車椅子の人たちにここでの生活を体験してもらえたら…」と思っていたのに、自分自身にそれを結び付けることができる手段があることを、すっかり忘れていた。いや、思いもよらなかった。
チーフの女性の一言は、私にそれを教えてくれた一撃だった。
(続く)
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