●バリアフリー・シティへの道
障害者留学の取材中に何度か耳にしたのは「バンクーバーも10年前は全然accessibleではなかった」とか「急に変わったのはここ7〜8年」という声だった。
そんなにアクションが素早いとは思えないカナダ人(失礼!)のことだから、私はてっきり、こうなるまでには長い歴史があるのかと思っていた。
そこで、バンクーバーのバリアフリーへの経緯をたどってみた。
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1965 車椅子使用者のために、初めて歩道の段差をなくす
1977 the Special Advisory Committee on Disability
Issues, the City's Equal Employment Opportunity
Programができる
1985 公共および私設駐車場に障害者優先スペースを設ける
ことを開始
1990 車椅子でも利用できるバスを、カナダで最初に定期
運行化
1992 「Independence '92」というイベントがバンクー
バーで行なわれ、その一貫として開かれた障害者国際
会議に、世界97ヵ国から3000人以上の人々が訪れた。
彼らは同市のaccessible交通機関、ビルディング規
約、障害者のレジャーやレクリエーション、刷新され
た住宅などを視察した。
1993 The Taskforce on Employment Equity for
Persons with Disabilitiesを設立
1994 政府と障害者のコミュニケーションを促進するために
the Provincial Office for Disability Issues設立
1994 車椅子で利用でき、目的地までdoor-to-doorで走る
マイクロバス「HandyDART」の運行開始
1995 車体が低いバスの運行開始
1995 ビルディング規約をはるかに上回るほどのaccessible
機能を備えたバンクーバー中央図書館が移転オープン
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なるほど、1965年からはほぼ10年おきにしか事が起こっていないのに対し、'90年以降は毎年なにかしら動きがある。やはり目に見えて変化してきたのは、10年ほど前からなのだ。特に'92年に開催された「Independence '92」は、社会の意識をも変える大きなきっかけとなったに違いない。
“意識を変える”と言えば、10月29日(日)に閉会したシドニー・パラリンピックも、長野パラリンピック同様、バリアフリーについての関心を高めるための一助になったのではないかと思う。
実は、カナダではまったく競技の放映がなかった。私は大ショック。楽しみにしていたのに…。当メルマガのプレ創刊号「カナダから見たシドニー・オリンピック」にも書いたが、オリンピックの時はほぼ24時間放映だったのだ。それがパラリンピックでは、開会式すら特番にもなっていなかった。残念だったが、こちらで放映がなかったためか、放送権侵害の問題がなく、日本からのニュースで、日本選手の活躍がちゃんと動く映像で見られたのはうれしかった(オリンピックでは、写真に切り替わっていたのだ)。
ニュースの中で、障害者のスポーツが盛んなアメリカやカナダは、メダル獲得数も多かったと説明されていたが、テレビ放映に関しては日本のほうがバリアフリー度はずっと高かった。
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