●“背中ポン”の言葉
当時、私はフリーランスのトラベル・ライターだったが、フリーになる前は、5年間、旅行情報誌『エイビーロード』の編集者をしていた。エイビー時代に培った経験と、編集部の同僚や外部スタッフとの結び付きは、今だに私のかけがえのない財産となっている。
特に同世代の女性ライターさんたちは、みな聡明で仕事熱心、趣味や知識も幅広く、きらきらと素敵に輝いている方ばかりだった。
その中の一人、1歳年上のHさんとは、なんとなく波長が合うものを感じていた。彼女は音楽関係の雑誌も手がけており、アメリカが大好きで、仕事以外でもよく遊びに行っていた。
ある日、ひょんなことから、彼女がアメリカ留学を志していることを知る。それはもう私が留学をあきらめていた頃だった。
留学といっても、1週間の短期ESLから学位を取る4年制大学までいろいろある。さらに大学でも、2年間のカレッジや1年の短期プログラムなどもある。どんな学校を目指しているのか、私はHさんに話を聞いてみたくなった。
たまたま『エイビーロード』で同じ特集記事を分担して受け持つことになり、編集部に打ち合わせに行った帰り、留学のことを聞いてみた。
「どんな学校に行きたいの?」
「◯◯州か△△州の大学に行きたいと思ってるんだけど…」
「へえー。何年くらい?」
「4年間」
「!!!???」
4年間という返事に、私は心底驚いた。だって、彼女は私より1つ年上なのだ。そのうえ4年間留学して帰ってきたら◯歳になってしまう。しかもアカデミック留学は、TOEFL受験など準備にも時間がかかるし、入学時期が限られているので、下手したら出発まであと1〜2年は必要だ。すると、帰ってくるのはさらに先になる‥‥。
私は心のどこかで「1年くらい」の短期留学、あるいはせいぜい「2年間」のカレッジ留学という答えを期待していた。
しかし、彼女は事もなげに「4年間」と言ったのだった。
この言葉が、私の意識を変えた。
そうか、誰も私に「年だ」なんて言っていない、「あきらめろ」なんて言っていない、言っていたのは私自身だったのだ、と‥‥。
自分の人生にストップをかけていたのは私自身だったのだ、と‥‥。
もとより留学のことは、誰に相談するでもなく一人で考えていたことだったので、帰国後は◯歳になってしまうとか帰ってきてからの仕事をどうするとかいうことは、周囲の誰かが言ったのではなく、“きっとみんなそう言うだろう。そう思っているだろう”という私の勝手な妄想だった。
年齢なんか気にしないふりをしていながら、実は“世間”や“年”をうじうじ気にかけている自分の本当の姿に気付き、愕然とする思いだった。
Hさんが4年間留学しようとしているのなら、私もまだまだ頑張れる!
それまでどんなにグジグジ悩んでいようとも、一度吹っ切ってしまったら、決して後ろは振り返らないのが私。まるで別人のように、あきらめていた留学の実現に向けて、具体案を練り始めた。それは実に楽しい作業だった。
既に着々と準備を進めていたHさんには、よく情報をいただいた。まだEメールなんてなかったこの時代、遠隔地に住んでいた私たちは、編集部で顔を合わせた時にお互いの状況報告をしては、励まし合った。それもまた楽しいプロセスだった。
それでも出発までの道のりは、まだまだ遠い。
そして、最後に思わぬ展開が待っていた。