●ロール・モデルを持とう
30歳を過ぎて留学しようと思った時、あるいは新たに何かを始めようと思った時、「今からでは遅いんだろうか」と不安になることはたびたびあった。そんな時、自らを励ますために、先週のように「人より10年遅かったら、10年長生きしよう!」という言葉を自分にかけたり、ある種の雑誌記事を読みあさったりしていた。
その記事とは‥‥
女性誌によく出てくるような人物のインタビュー記事だったが、私が読む記事は片寄っていた。30歳を過ぎてから何かを始めた人や、人生の後半で新たに何かにチャレンジした人の記事ばかり拾って読んでいた。自分を励ますロール・モデルが欲しかったのだ。role model とは「模範となるもの、理想の姿」という意味である。
別に有名人ではなくても、市井の人のこういう話を読むのは、より身近であり、参考になるので好きだった。
当時、私がよく読んでいた雑誌は『クロワッサン』だ。『クロワッサン』は読者対象が40代なので、私よりちょっと先輩のロール・モデルを探すにはぴったりだった。かつての同僚で20代の時から『クロワッサン』をめちゃくちゃ愛読していた子がいたが、さすがに私は20代の頃は『ノンノ』『アンアン』のほうをよく読んでいた。
でも、30代になると『クロワッサン』のほうがフィットした。『モア』や『ウィズ』のインタビュー・ページもよく読んだ。今後の自分の生き方を考えるとき、40代で生き生き輝いている方たちの話を読むと、じわ〜っと元気が湧いてくるように感じた。そして、今から何をしたらいいのかというヒントも得られた。
読んでいて、その人が何かをスタートした時期が20代だと分かったら、もうそれ以上は読まなかった。読んでも、あせるだけだから。
それから、自分の力で何かをやり遂げた人の話でないとダメ。たとえば、ご主人の海外赴任についていって、現地で暇があったのでお菓子作りの教室に通い、本場仕込みのケーキ作りを修得して、日本に帰ってきてから教室を開いたり本を出したりした人の話は、30代を過ぎてから始めた人の成功談でも参考にはならなかった。だって恵まれ過ぎている。
海外渡航費用から現地の生活費から、何から何まで自分でやりくりし、どんなビンボー生活が待っているかもしれないという覚悟も胸に秘めて行く私にとっては、こういう記事を読んでも、羨望の思いが増し、苦しくなるだけだったので、「へんっ」という一言とともに無視した。
苦労話や根性話だけを好んだわけではないが、何もないガランとした部屋から新しい生活の第一歩を踏み出したとか、昼は生活費のために働き夜は勉強に明け暮れたとか、そういう話のほうが、こちらをより励ましてくれることは事実だった。
自分がシングルだったから、独力で何かをやり遂げた人の話には、大いに触発されたが、結婚していて、ご主人の理解のもとに、経済的なサポートを得て何かを始めた人でも、うなってしまうほど感心させられたこともある。
その一つは、こちらに来てからNHKのドキュメンタリー番組で知った鈴木陽子医師のストーリーだった。
鈴木医師は、かつては普通の主婦だった。子育てが終わったら何を生きがいにしたらいいだろう…と思っていた頃、テレビで、僻地で診療につとめる老医師の姿を見て、この人のような医者になりたい!と思ったのだ。そして一念発起、医学部をめざして猛勉強。36歳で医学部に合格し、42歳で国家試験にパス。医者としてのキャリアをスタートさせた。そして、49歳で 北海道えりも町の診療所に単身赴任。テレビで見て、ああなりたい!と思った僻地の医者に、ついになったのである。
もちろん、ご主人や子供たち(お子さんが2人いる)の協力なくしては成し得なかったことだと思うが、医学部も国家試験も、パスしたのは鈴木医師の努力に他ならない。特に感心するのは、その「意志の力」である。かなり強い意志をもって望まないと‥‥。だって、途中でやめても、元の生活に戻るという逃げ道は、いつでもそこにあるのだから。相手は医学部だから、途中で断念してもちっとも恥ずかしいことではないし‥‥。
それを、最初の動機であった“僻地の医者”に到達するまで、鈴木医師はやり遂げている。
先日、その続編のような番組があった。やっと後任がきたので、60歳を過ぎて退職することになり、えりもを離れるまでを、カメラは追いかけていた。10年以上、単身赴任していたのだ。この間、2人のお子さんは成人し、長男が病気で倒れるなどの苦難もあった。それでも、診療所に医師が一人しかいなかったため、家族のもとに戻ることができなかったのだ。
目標であった“僻地の医者”になることだけでなく、地元の人々に密着し、生活にまで入り込んでいく診療(こういった地域では、そうならざるを得ない)を心がけている鈴木医師の努力、意志の力は綿々と続いていたのである。
こういう話を見たり聞いたりすると、単純な私は、そうだ!私もがんばろう!と思ってしまうのだ。だから、私にとって、ロール・モデルがいるということは、とても大切なことなのである。
きわめつけは、私の大好きな画家、グランドマア・モーゼス。
モーゼスおばあさんと呼ばれた彼女は、農家の主婦であり、ずーっと子育てと家事と野良仕事に追われていたが、75歳を過ぎて初めて絵筆を持ち、101歳で亡くなるまで、アメリカの田園風景を描き続けた。素朴であたたかみのあるモーゼスおばあさんの絵は、世界中の人々に愛されているのだ。
75歳からスタートした新たな世界・・・
こういう人生もあるのだなと思う。
※今日、ご紹介した鈴木陽子医師が自ら書かれた半生の記録、『えりも岬の母さん医師』が集英社文庫から出ています。また、グランドマア・モーゼスの画集は、『グランドマア・モーゼスのこころ』(文芸春秋社)など数冊が出版されています。