●いよいよ決断
定期的な通院と何種類もの薬は相変わらず欠かせなかったが、春になる頃には、父は以前と代わらぬ生活をしていた。その後、心臓のほうにも異常はなかった。
父の健康状態が安定してくると、私は再びカナダ行きを考え始めた。
今回は軽く済んだからよかったが、この先、また父に何かあったら、こんな状態ではすまないかもしれない。その時こそ、もう二度と旅立てなくなる。短期間で行くなら、父が健康を保っている今しかないのでは・・・
とりあえず妹に相談した。私は外で仕事をしているが、妹は家業を継いで両親と一緒に仕事をしている。姉は東京にいるので、父に何かあった場合、妹にいちばん負担がかかることになる。それでなくても頼りになるしっかり者なので、家族に関わる事柄の場合、私はいつもまず彼女に相談することが多いのだ。
妹の答えは、大丈夫だから行ってきたら、だった。そう言ってもらえると安心はするが「じゃ、後をよろしく」とパッと旅立つわけにもいかない。
引き続き様子を見ながら、情報収集と準備を再開することにした。
TOEFLは中断してしまったので、もう語学留学するしかなかった。でも、いつでも入学OKのESL(英語学校)は、こういう時にはたいへん便利である。自分の準備さえ整えば、いつでも渡加して入学できるのだ。ちょっと気がラクになった。あとは両親に話すタイミングさえ見つければいいのだ。
だんだん気候が暖かくなり、新緑が目に眩しくなる頃には、父の体調もぐんとよくなって元気に過ごしていた。私は、6月末頃には出発しようと考え始めていた。期間は当初の予定通り2年。もちろん、それは父に何事も起こらない場合のことで、短縮される可能性はいくらでもあった。
そして、ある日、両親に私の計画を打ち明けた。
職業がライターだから、物事を筋道立てて説明するのは得意である。両親への話はまさにそんな感じだった。私がなぜ(言いたくないけど→)この年で仕事を中断してカナダに行くか、留学の目的、現地ではどうするか、帰ってきてからのことをどう考えているか、などを淡々と話した。
が、最後の決断は両親の反応を見てから、と思っていた。もし父が、あるいは母が、私がいなくなることに少しでも不安を感じる様子だったら、自分の願望だけをゴリ押しすることはすまい。ただ、期間を短くしてもいいから、行くだけは行きたかった。
不安な顔をされたらどう説得しようかと一応は考えていたのだが、必要なかった。
父「俺は大丈夫だから、行ってくればいいよ」
母「(父も)こんなに元気だし、ま、光代がいなくても別にこっちは困ることもないし」(あらあら)
うちの両親は、いつもこんな感じだ。本音を言わない。この時も、本当にそう思ったのか、私に心配させまいとしたのか、実は今だに分からない。
でも、少々拍子抜けはしたものの、あっさりOKしてもらえたので、気分はすっかり軽くなっていた。もうこれでコソコソ準備したり、妹と陰で話したりしなくていいのだ。
両親がそう心配しなかったのは、いくつか理由がある。
私が長年東京で一人暮しをしていたこと、自立していること(年齢的には当たり前なんだけど)、仕事で海外によく行っていたので「外国」に対しての免疫が(両親に)できていたこと、カナダはそう遠くはないと感じていたらしいこと、そして仕事を通して親しくなった方たちがバンクーバーにいるということだった。そのご家族とは、もう数年来の行き来があった。
これら、まさに年齢のなせるワザである。10代や20代前半では、こうはいかない。
それからの日々、私は留学に向けてラストスパートをかけた。