●「英語を話す」ではなく「英語で話す」
私が語学学校でけっこう上のクラスに入れた理由‥‥。それは、自分の中に「“話すこと”があったから」に他ならなかった。
分かりにくい表現かもしれないが、“意見”というほど大げさなものではなく、会話のリアクションのようなものに近い。つまり、相手が何か言ったら、それに対してパッと心に浮かんでくるものが、常にあったのである。
それは、「その事についてよく知っている」だったり「体験したことがある」だったり「新聞 or 雑誌で読んだ」「テレビで見た」「仕事で関係していた」「友達に詳しい人がいる」etc.というものだった。そのほとんどが、社会人になってからの様々な経験に基づいていた。
このように“話すこと”がすぐ浮かんできたので、あとはそれを英語に訳せばよかった。元になる日本語があったから、それを表現するのに最適な英語の言い回しを探せばよかったのである。
しかし、私が見る限り(もちろん全員ではないが)、若い10代・20代のクラスメートたちは、まず“話すこと”そのものを探すのに難儀しているようだった。英語に訳したくても、訳す元になるものがなかったのである。
自分の20代の頃を振り替えると、それは無理もないかもしれないなぁと思う。後半はまだしも、20代前半の頃は人の話をひたすら聞いて吸収しているだけだった。10代なんて言うに及ばず、である。
そんな時に英語で何か話せと言われても、まず考えてしまうだろう。今だったら、即座に面白そうな話題の2〜3は拾えるけど…。
英語を勉強する際に勘違いしやすいのは、「英語を話せるようになる」のではなく「英語で話せるようになる」ために学んでいるということだ。
それには、話題も経験も豊富になる30代という年齢は、何らマイナス材料にはならない。むしろ30代以上のほうが、英語で人に伝えられるものをたくさん持っている。それは、個人の経験だけでなく、日本の文化、社会、生活、政治など、多方面に及ぶ見識を含む。
だから私は、30代留学をお勧めしたかったのだ。
(もちろん、20代と30代でスパッと線引きできるものではないし、個人の経験や性格によっても違ってくるので、20代の読者の方はその辺を少し差し引いて読んでいただきたい。)
語学学校に通って驚いたのは、ディスカッションの話題としてかなり深刻な社会問題を取り上げていることだった。
次回はこの点について触れてみたい。