●準備期間
Hさんの言葉で180度 意識が変わった私。本当の意味で年齢を気にしなくなったのは、この時からかもしれない(カナダに来てさらに拍車がかかったが)。
しかし、ついに留学を果たしたのは、それからさらに3年後のことであった。あんなに年齢を気にしていたのに、吹っ切るとこの通りなのである。一度目標を定めてしまうと、動じないというか、腰を据えてじっくり取り組むタイプらしい。
ただ実際問題、仕事やインストラクターをしている教室をきちんと後任に引き継ぎ、後をにごさず発つためには、3年の月日がかかったのだ。もちろん資金作りにも。
失敗はできないという思いがあった。もしこの留学が不本意なものに終わったとしても、やり直しはきかない。この辺、やはり若いモンなら、ポンと飛び出してしまえるのだと思う。飛び出して、生活に行き詰まったり緊急帰国しなければならない事態が起こったとしても、またお金をためて飛び出せる時間は充分にある。
しかし、私はさすがにそれは出来ないだろうと思った。既に留学期間を2年と決めていたので、この2年間、現地で困ったり不自由しないだけのお金は蓄えておきたかったし、収入がなくなるのだからそのお金を無駄に使わないよう、学校や生活の下調べも充分にしておきたかったのだ。
さらに帰国してからのことを考えると、今やっているフリーランス・ライターの仕事での信頼と実績をきちんと築いておく必要があった。
だから準備不充分でパッと行ってしまう訳にはいかなかった。
この間、Hさんとは時々連絡をとっていたが、彼女は、言葉だけでなく“背中ポン”をしてくれる存在そのものだった。彼女のアメリカ留学、私のカナダ留学という、対になるような夢がなければ、私はまた途中であきらめていたかもしれない。彼女なくしては、留学は実現できなかった。
Hさんに最も助けてもらったは、TOEFL受験のノウハウである。当時、私はまだどんな学校に行くか決めていなかった。英語以外に勉強したいことがあったが、そのための学校をカナダに探していた。
そんな中、Hさんともう1人の人から、正規留学を考えてみたら?と言われた。それまでは、期間や資金面のこともあり、無理なんじゃないかと思っていたが、その人に「奨学金をもらえるんじゃないですか?」とオイシそうな話を聞かされ(その方は私のことをずいぶん買い被っていらしたようだ)、ちょいとその気になってしまった。それでTOEFL受験も考え始めたのだ。
さっそくHさんに聞いてみた。彼女はもう何回かTOEFLを受けているのである。日本人の場合、文法はいいのだがヒアリングが苦手なため、その部分で点が取れない、だから何度か受験してテストそのものに慣れ、スコアをアップしていくのだと教えてもらった。何はともあれ一度受けてみたら?と言われた。そして申込方法や問い合わせ先などを教えてくれた。
私も受けてみないことには、自分の今のレベルがまったく分からないので、とりあえず一度受験することにした。
さっそく問題集を買いに行った。実はそれまで、本屋のそういったコーナーにはあまり足を運んだことがなかったので、英語教材の種類と量の多さには度肝を抜かれた。TOEFLを受験する人や留学したい人って多いんだなぁと、まるで人事のようにつぶやいていた。
その時、同時にアルク出版の『カナダ留学事典』も手にした。カナダの大学・カレッジにどんな学部・学科があるのかと、入学の際にTOEFLスコアはどのくらい必要なのかを調べるためには不可欠だった。まさか自分が、後にそのシリーズの記事を執筆するようになるとは、夢にも思わなかった。
TOEFL第1回受験。
入試ではないのでそれほど緊張はしなかったが、実におもしろい…というか奇妙な経験だった。
まず大教室でテストを受けるということを、もう何年も体験していなかった。大緊張はないものの、軽く心地よい緊張感はあった。まわりを見回すと若いコばっかり。そりゃそうだ、高校生だって受けているのだから。主流は大学生のようだったが、広い教室内を眺めてみると、年長の方も数人いた。
そしてひたすらテスト用紙だけに向き合う90分(だったかな? Sectionによって違ったと思うけど)。それだけの時間、問題だけに集中し、頭の中で自分とだけしゃべっているという状態は、その頃の日常生活にはあまりなかったので、久々に新鮮な体験ではあった。
さてスコアは・・・まあ初めてならこんなもんだろう。良くはなかったが、最も英語をよく勉強した受験生時代からもう10年以上もたっているのだから仕方がない。Hさんに連絡すると「私の最初のスコアよりずっといいわよ」と言われ、少し気をよくした。
TOEFL受験料は決して安くはないので、勉強をしておいてなるべく効率よく受けようと思っていたが、2つの仕事をしながらでは、なかなか勉強もままならなかった。それでも、日本にいるうちに3回受験し、彼女が言うようにスコアは少しずつアップした。だが、カナダの大学のレベルには程遠かった。カナダの大学が要求するTOEFLスコアは、アメリカのそれと比べて一般に高いのである。
このような準備をしながら、2年が過ぎた。仕事のほうは徐々に整理がつき、後任問題もクリアした。天守閣という目標に向かって、段々に外堀から埋めていっているような気分だった。
TOEFLスコアのアップをこれ以上待っていても仕方がないので、翌年の春頃には渡加することを決め、Hさんに伝えると「そうかあ、じゃあオカムラさんのほうが早く行くかもしれないね」。彼女もマイペースで準備を進めているのだった。でも、まだ学校が決まっていない私に比べて、Hさんは既に2〜3校に絞っていた。お互い留学先で訪問しあおうね、なんて楽しい約束を交していた。
最後にクリアすべき問題は家族だった。実はまだこの計画を、両親には話していなかったのである。余計な心配をかけたくなかったので、実現の見通しがついた時点で打ち明けようと思っていたのだ。
「年が明けたらそろそろ話さなきゃ」と思っていた矢先、父が倒れた。