●引きこもり
今年の春、日本から来た友人が「週刊文春」を2カ月分くらい持ってきてくれた。読みふけっているうちに、新しい言葉を仕入れた。それは「引きこもり」。今、日本で、大きな社会問題になっているという。
私は、子供が登校拒否のようになって、家から出なくなってしまうことかと思っていたら、大人の引きこもりが多いのだそうだ。記事を読んでいて、なんだか気持ちが分かるような気がした。私自身、現在、少し引きこもり状態におちいっているから‥‥
そうなのだ。誰も信じてくれないけど、先月あたりからちょっと欝っぽくなっていて、それをまだ引きずっている。おまけに、私の仕事は基本的には家でする作業なので、心がそういう状態になると、ますます引きこもりっぽくなる。時には、部屋から一歩も出ないこともある。郵便受けにすら行かないのだ。
ただ、暗い部屋でうずくまっているかというと、そうではない。私の仕事のコーナーは、前も横も大きな窓になっており、めちゃくちゃ明るい。しかも、斜め前にはダウンタウンとノース・バンクーバーの眺めがばっちり。全然暗くないのだ。お天気の移り変わりも全部わかる。だから、外に出なくても、出たような気分になってしまうのだ。それがいけないのかもしれない。
明るい引きこもり? いやいや、心はやっぱりどこか晴れていないのですよ。
以前、欝っぽくなったのは、冬のお天気が悪い頃だった。だって、毎日毎日毎日毎日、雨なんだもの。たしかに、この時期のバンクーバーには鬱病が増え、自殺者も増加すると聞いている。無理もないだろうなあと思う。NHL(アイスホッケー)がなかったら、私も鬱々とした日々を送っているかもしれない。
今回困るのは、せっかく「さわやかな夏」というベストシーズンが来ているのに、なんだか引きこもりがちになっているということだ。
考えるに、その原因には、バスのストが一役買っていると思う。バスでちょっとダウンタウンに出たり、メトロタウンに行ったり、あるいはUBC方面に足を延ばしてみたりというのは、かなり気分転換になっていたようだ。それがなあ‥‥、ダウンタウンに行くのも、歩いて45分だものなあ。ちょっと、という訳にはいかなくなってしまった。
外に出るのが嫌なのは、人に会うのが面倒くさいというのがある。この辺は知り合いもいっぱい住んでいるので、誰に出会うか分からない。だからお化粧をちゃんとして出かけなきゃ、と思うこと自体が既に面倒になっている。どうしようもない。
メイクアップが楽しくなるようにと、新しい化粧品を買ったりしてみたが、大きな効果はなかった。
ただ、予めアポイントなどがある場合は、大丈夫なのだ。電話応対も普通。出るの嫌だなと思っていても、受話器をとると、普通にペラペラしゃべっている自分がいる。だから、周りの人は、私が引きこもりっぽくなっているなんて、微塵も思わないのだ。
これってOL時代や編集者時代に身についてしまった悲しい性かしら?と思うことがある。で、話やアポが終わってみると、けっこう元気になっていたりするのだから、こういう人間は、定期的にオフィスに行ったりする仕事のほうが、かえっていいんだろうなと思う。
このままでは困るし、せっかくの夏が終わってしまうので、最近はなるべく外に出るようにしている。お化粧が面倒だったら、サングラスにキャップを目深にかぶってしまえばいいのだ。
昨日、キツラノビーチに行ったら、大潮だったのか、水が浜から100メートルも引いていた。裸足になって、いつもは海の底になっている砂浜を歩いた。家族連れや小さな子供たちを見ていると、心が和む。太陽の光を浴びているだけで、元気になれた。波の音を聞き、水の流れが砂の上につくる模様を見ていると、時間を忘れた。・・・自然の癒しの力なのだろう。
さて、今日書いてきたことは、最近の私の状況であるが、留学生のメンタルヘルスは、バンクーバーでも問題になっている。引きこもりの症状になってしまう人が多いのだ。最初は、ちょっと出るのが嫌だなぁ程度だったのが、本人も気付かないうちに、深刻化していることがある。そんな時に気付いてあげられるのは、友達しかいない。もし気付いたら、留学生コーディネーターや教師などに相談してみよう。しかるべき専門家に診てもらったほうがいい場合もある。