●コミュニケーションの問題(1)
国際結婚した人がいると聞くと、最初に思うのは「2人は何語で話しているんだろう?」ということだ。
たとえば、ゴクミがアレジとつきあっていた時には「へえ、彼女は英語が話せるんだ」と思ったし、結婚してフランスに住んでいると聞けば「日常生活ではフランス語を使っているんだろうか?」「子供は2ヵ国語で育てているのかな?」などと思ってしまう。
コミュニケーションの手段である言語は、違う文化を背景に育った2人の間では、ことさら重要なものだ。
国際結婚ワークショップの第1回と第2回では、やはりコミュニケーションのことがテーマとして取り上げられていた。
バンクーバーに来た頃は、国際結婚カップルは、少なくとも“意志の疎通ができる”程度の英語の修得を、日本人パートナーの方がしているのだろうと思っていたのだが、そうでもないことがだんだん分かってきた。言葉ができない分は身ぶり手ぶりで補うのかもしれないが、補いきれない部分も相当あるはずだ。
さらに国際結婚の場合、英語の理解度とともに、文化の違いによるコミュニケーションの方法の違いも問題になってくる。
たとえば、妻が日本人、夫がカナダ人の場合、ケンカをすると妻が黙ってしまうケースが多いらしい。理由の一つは、もちろん言葉のハンデによるものだ。英語では言いたいことが言えない、相手に自分が怒った理由を伝えたいが英語で表現できない、などなど‥‥。冷静時ならスンナリ出てくる言葉も、感情的になっている時には、余計に浮かんでこなかったりするし。
そして言葉以前の問題として浮き彫りにされてくるのが、それぞれの文化におけるコミュニケーションの手法の違いである。
西洋の文化は言葉での表現を重んじる。Yes、Noの意志表示から始まって、愛情表現も言葉、問題解決の方法も徹底的に話し合うことから始まる。泥沼化しつつあるアメリカ大統領選でも(いったいどうなっちゃうんでしょうね?)、候補者のスピーチ力は重要視されている。
ところが、日本の文化は「察する」とか「以心伝心」など、言葉で語られなくても相手の言わんとするところを理解しようとする文化である。「気配りができる」なんて言葉も、暗に“言う前に気がつくのを良しとしている”ようだ。
もともとそういう文化である上に、夫婦の間となると、ますます言葉でのコミュニケーションがなくなるのが普通である。よく聞かれる夫婦ゲンカでの双方の言い分は「いちいち言わなくても分かるだろう」「話す前に気付いてほしい」果ては「何年一緒に住んでるんだ!」なんて言ったりもする。
“言わなくでも分かる”ことを尊しとしている文化なのだ。
この2つの文化が、そう簡単に噛み合うわけがない。片や「意見や不満があったら言うのが当然」と思っているし、片や「こんなに態度で表わしているのに何で気が付かないの?」と思っているのだから。
夫婦間でこういうぶつかりあいを何度か経験して初めて、その根底にある文化の違いに気付いていくのである。
では、日本人パートナーがもっと言葉で表現するようになれば解決するかというと、そういうわけでもない。
次回はその辺をもう少し探ってみたいと思う。