●国際結婚は“偉そう”か?(1)
「国際結婚、国際結婚って、なによ偉そうに」という言葉を、時々聞くことがある。幸いなことに、まだ直接言われたことはないが(言われたらヘコむだろうな)、何かのサイトの掲示板や、バンクーバーの日本語マガジンなどに時々書かれていて、それを読んだり、読んだ人から聞いたりするのである。
「国際結婚って偉そうに言わないでよ」と言われても、この結婚形態を表わす言葉は「国際結婚」しかないので、仕方がないのだ。そんなふうなリアクションをされると、こちらはどう言えばいいのか、本当に困ってしまう。
もしかしたら、このメルマガを読んでいる方の中でも、多少そのように感じている人がいるのではないかと思う(そういう人は、この木曜日のコーナーは読んでいないかな?)。
それはしょうがないと、私は思っている。だって、世の中には、本当に偉そうに言っている人がいるんだもの。私ですら「こいつ、何サマ?」とむかつくことがある。
以前、帰国した時に、朝のワイドショーのトークコーナーに、とある芸能人がゲストで出ているのを見た。もともとあまり好きではないタイプの人だったが、その番組を見てますます嫌いになった。彼女はアメリカ人と結婚し、しばらくアメリカに住んで子育てをしていたが、日本での芸能活動を再開することになったらしく、それでトークショーに出てきたのだ。
どうやら子供たちも一緒に来て、日本の学校に転校したらしい。そして、子供が日本の学校に通い出してからの反応を、いろいろ話しているのだった。
まず初日に、帰宅してから子供が興奮ぎみにこう言ったという。
「マミー(←この言葉も嫌味)、日本の学校では自分たちで教室のお掃除をするんだよ!」
さらに給食。アメリカにはそういう制度がないので、子供たちが驚いたとか。自分たちで給仕し、みんな同じものを食べ、しかも給食袋やエプロンを持って帰って洗濯したりするわけだ。
単に話を伝えているだけだったら、子供の可愛く素直な感想と受け取れたのだが、そこに彼女の“偉そう”な雰囲気が見え隠れし、なんとも不快な気分になった。
お掃除に関しては「アメリカでは、掃除をする業者が来てやってくれるんですよ」、給食については「向こうでは、ランチボックスを持っていってカフェテリアで食べますから」と言っていたが、どちらも言下に“日本はまだそんな古い制度を続けているのね”というバカにした感じがアリアリで、実に不愉快だった。
お掃除、給食、何が悪い? 素晴しい制度じゃないか。自分たちが勉強する教室や校舎は自分たちできれいにする。正しい心がけである。家庭でこういうことを教えていける親は少ないから、学校はこうあるべきだと思う。お掃除の時間は別に好きではなかったけど、楽しい思い出であり、たまに母校に行った時など「3年生の時、この裏庭のお掃除当番だったなー」なんて、懐かしく思い出したりするものだ。
給食は、栄養バランスが考えられているし、自分たちで配膳するというのもいいシステムだったと思う。私の小学校では、5・6年生が1・2年生に給仕してあげるのだが、そんな時は「上級生になったんだなぁ」なんて子供心に思ったりしてた。
そういう社会性や公共性を学ぶ場だったのだ、お掃除や給食は…。
どっちの制度がいいと思うかは人それぞれだが、別にアメリカが進んでいるとは思わないし、ましてやそれを偉そうに語るなんて、勘違いも甚だしいと思った。
当時、既にバンクーバーで、さまざまな問題を抱える多くの国際結婚カップルを見ていた私は、この芸能人みたいな輩がいるから、国際結婚した人たちが誤解され、より傷つくのだと思った。「やめろー!ひっこめー!」と野次を飛ばしたい気分だった。