●食べ物について(5)
性懲りもなく、食べ物の話を続けている。好きなので仕方がない。もう少し、おつきあいいただきたい。
前回の終わりに「とりわけある部門に、日本の食文化“深さ”を感じている」と書いたが、今日はそのことについてお話しよう。
その「ある部門」とは「お弁当」である。
女性なら、誰でも一度はお弁当をつくったことがあると思う。その時、どんなことを考えながら、お弁当箱に食べ物を詰めただろうか? 栄養のバランス? 彩りの良さ? ご飯とおかずの割合? とにかく、おかずを作る段階と、お弁当箱に詰める段階で、おそらく自然にバランスやら色合いやらを考えていたと思うのだ。あるいは、フタをあける人の喜ぶ顔を思い浮かべていたかもしれない。
そんな、日本人にとってはごく普通につくっているお弁当が、こちらの人にとっては、スゴイ物にうつるらしい。
夫の会社の近くに、レストランもカフェもグローサリーストアすらないことから、私はお弁当を作るようになった。経済性を考えてということもあるが、ランチタイムに毎日食べにいく場所を探すストレスを、よく知っているからだ。私がいた編集部も、一時、そんなエリアのオフィスビルにいたことがあり、毎日、行く場所を考えるのが面倒だったし、だいいち昼休みの時間がもったいなかった。探して行ってオーダーして待って食べて戻って、ほぼ1時間たってしまうのだ。それが、お弁当を持っていけば、ただちに食べられ、その後ゆっくり休むことができる。
始めのうちは、日本的なお弁当だけでなく、サンドイッチも作っていた。いくら日本食が好きだからといっても、毎日ご飯はいやだろうと思ったからだ。ところが、彼にとっては、日本的なお弁当のほうが嬉しかったようだ。今までずっと外で買うサンドイッチのランチが多かったので、飽き飽きしていたらしいのだ。それが分かって、さらに彼にもきちんと聞いたうえで、私はサンドイッチをつくるのを止め、お弁当しかつくらなくなった。私にとってもそのほうが楽だったからだ。お弁当のおかずのバリエーションだったら、いくらでも考えられるが、サンドイッチのそれは実に少なかった。
で、私にとってはごく普通に、バランスやら彩りやらを考えて、お弁当を詰めているのだが、それが会社の同僚の間では、ちょっとした話題になっているという。毎回すごくきれいだというのだ。いつも彼のランチは注目の的だという。そんなことを聞かされたら、余計はりきってつくってしまう。
ただ、こちらには、そんなにお弁当用品があるわけではない。最初の頃は、普通のタッパーに入れていたのだが、調味料入れや箸箱(売っているけど子供用ばかり)も必要だったので、家族に頼んで送ってもらった。二段の塗り物っぽい(でもプラスチックの)お弁当箱、お箸と箸箱(大人用)、液体調味料入れ、マヨネーズケース、和風のお弁当包みなどである。これらがまた同僚の目を引いたことは言うまでもない。
一緒に送ってもらったお弁当の本には、「これでもか!」というほど、おかずのアイデアがたくさん出ていて、今度は私がいたく感激した。日本のお弁当文化は、歴史が長く、奥が深い!
日本のお弁当で、私がいちばんすごいと思うのは、おかずの材料が何もなくても、米と海苔と梅干しがあれば、とりあえず「おにぎり」はできてしまうということだ。これはすごいと思った。材料は全部、保存食みたいなものだから、家にはいつも買い置きがある。おかずがない時は、いつもこの手だ。サンドイッチでは、こうはいかない。少なくとも、パンはフレッシュなものが必要なのである。
仕事が忙しい時は、お弁当をつくれなくなってしまうのだが、そうすると彼は同僚に「奥さんとケンカしたのか?」と聞かれるのだそうだ。お弁当をつくり続けることで、私は日本の食文化を背負って立っているような気がする(ちょっと大げさか…)。