●夫の里帰り(2)
スイスではクリスマス・イブを祝う。その日はツリーを飾り、家族・親戚・友人が集まって、プレゼント交換をするのは、カナダとほとんど変わらない。
が、ターキーは食べない。あれはどうやら北米の習慣らしい。
彼の家では、特に決まったクリスマス・ディナーというのはないそうで、毎年違うものを作っているようだ。でも、義父が作る豆とベーコンのスープは2度目だったし、近くに住む叔母が持って来る特製フルーツ・サラダは毎年の恒例だとか。今年はそれに私たちの海苔巻き(!)も加わった。
義妹の2人の子供たち---3歳の男の子と1歳半の女の子---には、すっかり好かれてしまった。姪はカタコトで話し始めたばかりで、私の名前も「ミ」が抜けて「チュヨ」になってしまう。私の姿が見えないと「チュヨはどこ?」と繰り返し聞いていたのだそうだ。かわい〜い。
姪っ子とは言葉はいらなかったが、甥には私の下手なスイス・ジャーマンが面白かったのかもしれない。甥っ子は私よりずっとうまい(当り前か)。彼が話しかけてくると、私には通訳が必要だった。次に会う時、彼はもっとしゃべれるようになっているだろうから、私はもう遊んでもらえないかもしれないな。
25日以降、街はたいへん静かになる。プレゼントを買う人で賑わっていたショッピング街が、再びにぎやかになるのは、年末近くにセールが始まる時だ。そしてまた静かな元旦を迎える。
チューリヒもバンクーバー同様、雪はほとんど降らないが、昨年は28日に1日だけ降った。それは街を白く覆い、気温が低かったせいで、べちゃべちゃにならず、きれいなまま年明けを迎えた。
ダウンタウンでは、一昨年は2000年を迎えるカウントダウンが大々的に行なわれたそうだが、昨年は予算がないので21世紀へのカウントダウンは行なわないことになったのだとか。そして今年の大晦日はまたあるらしい。私たちはちょうど行なわない年に来てしまったのだった。行きたかったのになぁ。
そこで、新年は近くの教会に鐘を聞きに行くことにした。伯母から、新年を迎える瞬間の鐘の鳴り方がすごくいいわよ、と聞いていたからだ。両親も行きたいとのことで、大晦日の夜11時40分頃、4人で出かけた。教会へは歩いて10分足らず。中へは入れなかったが、鐘は先ほどからずっと鳴り続けていた。意外なことに、私たちのほかは誰もいなかった。近所の人にとっては、窓を開けばすぐ聞こえるからなんだろう。近くで聞くと、かなり大きい音である。
5つか6つの鐘が違う音色を奏で、それが大きなハーモニーとなっていた。私たちはそこにたたずんで、高い鐘楼を見上げ、その音色を聞いていた。
あと1分ほどで新年という時、鐘の音が一つずつ止まっていった。
そして静寂・・・。
やがて鐘楼に付いている大きな時計が、時を打ち始めた。ボーン、ボーン、ボーン・・・
12回目が鳴り終わった時、21世紀の幕が明けた。
私たちはお互いに“Happy New Year !!”とハグをして新年を祝いあった。
何十秒かの静寂のあと、新世紀最初の鐘がリンゴ〜ンと鳴り始めた。続けて2つ目の鐘が、そして3つ目・・・。
やがてすべての鐘が、新年を祝うように高らかに鳴り始めた。
義母は言った。「こんなに素敵な新年は今までなかったわ!」
大晦日にこの教会まで来たのも、今回が初めてだったのだそうだ。
そのあと、近くの丘に上って、チューリヒの街を眺めた。街の上にも、チューリヒ湖の対岸にも、いくつもの花火が上がっていた。
私たちが帰る前日、子供たちをご主人に預けて、義妹が泊まりにきた。夜遅くまで5人で話していたが、そんな時、ふと冷静にこの場を見る自分がいることに気付く。
かつてはこの4人が家族だった。つい数年前までそうだった。そこに、今私も家族の一員として一緒にいる。スイス・ジャーマンは全然しゃべれないのに、なぜかこうして話の輪に入っている自分がいる。どう考えても不思議だった。自分が国際結婚をするなんて、考えたこともなかったからだ。夫の里帰りに付いていく自分がいたとしても、それは、日本のどこかの家で、みんなでコタツにはいってミカンを食べている図でしか思い浮かばなかった。
人の縁とは不思議なものである。