●結婚式
昨日の結婚記念日で、3年前のことを思い出したので、今日は結婚式について書いてみたい。(しかし、この手のことはあまり書いたことがないので、コソバユイ感じがする…)
私が日本で式を挙げようと思ったのは、主に母のためだった。ずっと健康でいた父を意外に早く亡くし、元来明るい人なので悲しそうなところは全く見せなかったが、それが余計に私たち姉妹を心配させた。なんとか母を元気づけ(表面は元気なんだけれども)、明るく幸せな気分を味わってもらいたかった。
それと、30代留学のページでも書いたが、自分が30歳以上であるということは、親もそろそろ高齢であり、親戚筋も同様の年齢層なのである。伯父・叔母は70代、いとこ達は30〜40代になっていた。この年代になると、いとこの結婚式などの慶事はほとんど終わってしまい、親戚一同が顔を合わせる機会は、法事か誰かのお見舞いしかなかった。
私にはいとこが10人いて、小さい頃はよくみんなで一緒に遊んだのに、それぞれ自分の人生が始まると、一同に会する機会は激減した。前回みんなに会えたのは、父の葬儀だったのだ。
その頃から何となく考えていた。今度は、楽しいこと・おめでたいことで集まりたい、と…。それで、日本で式を挙げることを思いついたのだ。そうすれば、母も安心させられる…。親族だけのこぢんまりとした式にするつもりだった。
彼がどういう反応をするかなぁと心配しつつ切り出すと、大喜びで私より乗り気になってしまった。どういう理由であれ、日本に行くことが大好きな人であることを、すっかり忘れていた。
今度はスイスのご両親のことが気になった。バンクーバーに来るならともかく、日本でということには難色を示すのではないかと思ったら、こちらもすっかり乗り気で、その日に合わせて日本を旅行することになり、わくわくしながら計画を立てているという。さらに叔母さんら3人が来ることになり、それぞれ好きなように日本国内を旅行してから、式前日に集まることになった。
難関だと思っていた部分が難無く通ってしまい、逆にシンプルにすればいいと思っていた式の部分が難航した。当初から式はここでと思っていた近所の神社(両親が挙式したところ)があり、前年に帰国した際、下見に行って仮打ち合わせまでしていた式場が、直前になって、経営不振で休館していることが分かったのだ。慌てて妹に頼んで、隣の市の適当なホテル会場を押さえてもらった。下見も何もあったもんじゃなかった。
2週間前に帰国してから、まず式場と打ち合わせ、衣裳選び、かつら合わせ、引出物選び、花屋さんと打ち合わせ、BGM選び…。家では、招待状(既に連絡はしていたが、一応作った)、座席表、2人のプロフィール、お色直しの時に流すバンクーバー紹介のビデオなどを作った。親友カップルに司会を頼んだので、その打ち合わせも。妹はウェディングドレス作り(彼女はプロなので)。
家族も巻き込んで本当に大変な2週間だったので、母ったら「バンクーバーの教会かどこかで、簡単にやっちゃえばよかったのに」だって。ホントに「あらあら」な人だ。
実は、日本サイドの親族だけだったらドレスだけでもよかったのだが、やはりわざわざスイスから5人も来るとなると、日本の伝統的な結婚式と衣裳を見せない訳にはいかなかった。衣裳も、白無垢だけじゃなく、色打掛けのゴージャスさもお見せしなければ…と、ほとんど文化親善大使状態。料理も全部和食にした。
彼の衣裳合わせは、式の前日。袖を通した紋付き袴が気に入ってしまい、お色直しをしなくていいと言う。そんなあ…、妹は徹夜までして縫ってくれているのに…。
義母は義母で「この着物、いくらするのかしら? 買って帰りたいわ」だって。こんな会話が交わされるのって、国際結婚ならではかもしれない。
で、まあ、式は無事に終わり、その年の夏、今度はスイスで、やはり親族だけのお披露目をした。日本からは母と姉、いとこ2人が来て、その後、私たちも一緒に1週間のスイス旅行を楽しんだ。
結局、バンクーバーでは何もしなかった。
ほとんどの国際結婚カップルは、日本とカナダのどちらかをメインにして挙式し、どちらかではパーティーだけとか、そんな形式にしているようだ。
私たちのように移民同士というケースもあるが、その中には、カナダ・日本・相手の国と3回披露宴をするカップルもいる。しかも、それぞれの伝統的なスタイルに乗っ取って、ちゃんと衣裳を着て…。
う〜ん、私たちにはとてもそのパワーはなかった・・・